ブラック企業体験談~はじめての会社は良い下積みだった~

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自分の職歴書を書いていたら昔働いていた会社のことを思い出した。はじめて務めた会社で2年弱しかいなかったが非常に濃く色々なおもいでが詰まっている。がむしゃらに働いて思いっきり遊んでいたあの頃を思い出すと懐かしくて涙が出そうになった。入社したのが1995年なのでかなり昔の話。辛いことも多かったが今ではいい思い出である。筆者がはじめてサラリーマンとして勤めたブラック企業を紹介する。

ブラック企業体験談

ブラック定番の暴力や恫喝はないが休みが少なくは薄給であったためブラックと認定させていただく。仕事上のスキルは特殊な印刷機以外身に着けていないが人生経験は積めた。特にブラックは色々な人がいて面白い。基本的に大企業には普通の人しかいないのでその点はつまらない。しかしブラックは違う。大企業に存在しないぶっ飛んだ人がいる。今考えると人的にはブラックの方が楽しいんじゃないかと思う。大企業はねヤバい人が少なすぎる。

入社の経緯

情報処理系の専門学校を卒業して就職に失敗し3ヶ月ほど自宅警備員をやっていた。特にやることもなく毎日ダラダラと過ごしていたらさすがに飽きてきた。どこでもいいから働いてみようと思いハローワークで適当に選んだ会社に応募して入社。こんな若者を受け入れてくれる会社ってやっぱアレだよね。

この時一歩間違ったらこのまま自宅警備員を何年もやっていたかもしれない。気まぐれで就職してくれた当時の自分に感謝する。やりたいことが見つからずモヤモヤしているならなんでもいいから思い切って動くことをおすすめする。

仕事内容

たしか事務職で応募したつもりだが気づいたら印刷工場で働いていた。立ち仕事で9時から21時までは働いていた。忙しいときは午前様になることもあった。印刷工員のほかに配送の仕事もやってたな。毎日いくつも段ボール作って梱包してた。

機械が好きなので印刷機の使い方もすぐに覚え気づけば一番詳しくなっていた。後半はメンテナンスも自分でやったりしてた。毎日インクまみれ汗まみれになって働いてた。立ち仕事なので結構疲れたのを覚えてる。

給料

これははっきり覚えている手取りで9万円以下だった。法律的にアウトな気がするが「まぁこんなもんだろう」なんて全く気にしていなかった。当時の初任給は15から19万くらいなので笑えない金額である。ほとんどがガソリン代と車のローンで消えていった。貯金は常にゼロ。この頃はびっくりするくらいお金なかったけど楽しかった。

休み

休みは日曜日と祝祭日と第一土曜日。完全週休二日ではなく土曜日は月に一回しか休めない。ここでおかしなルールがあって事務職は月に2回土曜日休みがあり工員は月に1回しか土曜日休みがない。同じ社員なのに休みの数違うとか今考えたらありえへん。しかも事務職で就職したのにこの待遇である。この頃は本当に完全週休二日制にあこがれていた。毎週土曜日休めたらどんなに幸せなんだろうと・・・。

しかし、休みに関してはIT業界の方が過酷。忙しくなると土日がなくなり家に帰れなくなるのがあたりまえ。稼働時間はIT業界の方が圧倒的に多い。休みや自分の時間を大切にしたい人にはIT業界はおすすめできない。

残業

毎日帰りは21時過ぎていた。夏場に19時くらいに帰れる日があると空がうっすら明るくて「あぁ早く帰れてよかったなぁ」なんて帰りの車でつぶやいていたのを思い出した。ただし、残業に関して言えばIT業界の方がもっと過酷。

一年くらい経ってからだろうか。申請しないと残業代が付かないことを知った。私はどんだけアホなんだ。実家暮らしでお金に執着もなかったので給与明細なんてまともに見たことが無かった。正社員が残業代をもらえることすらわかってなかった気がする。

職場環境

社員が少なくパートさんが多かったので残った仕事はほとんど自分がやっていた。一番ひどかったのは「何時間でも残業するので入社させてください!!」といって入ってきた女性。その人のために会社が新しい仕事を準備したのだが数週間後「離婚したので残業できなくなりました、子供の世話があるので毎日定時で帰ります。」といって毎日定時で帰ってしまった。わけもわからず残った仕事を毎日私が残業して対応していた。

事務所は7割以上が女性でかなりドロドロしていた。普通に陰湿ないじめとかが横行してる。工場は和気あいあいした感じなんだけど事務所は伏魔殿。

この支店のトップが悪魔のようなキャリアウーマンでいつもキーキー騒いでいた。でも今考えたらかわいい方だった。このあと20年サラリーマンやるんだがもっと悪いやつに出会うことになる。

自分の上司はちょと変わり者で以前会社を経営してたとか。この上司はお酒が好きで下戸の私をタクシー代わりにして毎日のように飲み歩いてた。私は美味しい居酒屋でただ飯いただけたのでWin-Winの関係だ。

幸運なことに暴力や恫喝などといったバイオレンスなことはなかった。上司や先輩もいい人達が多く色々と助けてもらった。休みと給料は少ないが悪い環境ではなかったと思う。

離職率

まぁ、入っては辞め、入っては辞めと数カ月でみんなやめていく。1年経ったら私が古株になっていた。気づいたら工場の管理してて最後の戸締りしたりと・・・。

出入りが激しいので色々な人とであった。入社ウエルカムのブラック企業なんで個性的な面々が来るわけです。ほんと面白い人が多くて飽きなかった。

退職

長くてもみんな3ヶ月くらいでやめてくなか2年弱この会社で働いた。理由は事務所に好きな女の子がいたからだ。こんなくだらないことで2年を棒に振るという暴挙。その子には彼氏がいたが何度も二人で遊びに行く関係だった。その女の子が会社を辞めて数カ月。印刷機をじーっと見つめて思った「あぁこの仕事つまんねー」・・・。

その翌日上司に相談し会社を辞めることにした。はっきり言って失うものが何もない状態。こんときは「とにかく何でもやってやる、絶対これから楽しくなる」と異常なまでの自信があった。思考は現実になるとかオカルトっぽいことを信じたりしないが、あたまの中にズバァーンと道が見えた気がした。この時アホなくらいポジティブだったのを覚えている。

このあと1週間くらいで次の就職先が見つかりIT業界にデビュー。

まとめ

休みや給与に問題はあったが良い人たちが多かったのでブラックとは言えないかもしれない。本気のブラックであれば、あり得ないノルマ、恫喝、暴力とかなりバイオレンスだったことだろう。休みが少なく給料安く残業多かったけど楽しかった。この時の出会いや経験が今の自分につながっていると思うとここで働いた2年は無駄ではなかったかもしれない。

ポイント
  • 給与や休みの少なさは今考えてもひどいと思う
  • 人間関係は良好で色々な人と出会いいい経験ができた
  • この2年間は自分の人生を考える良いきっかけになった

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